大学英語テスト、「しゃべれる」ようになるとは?自民党の民間利権荒らしの批判の中で

萩生田大臣のとんでもない発言から、文部省の評価は地に落ちたと言われる。実際には、官邸ー内閣府-経産省が先導していて、文科省は酷い目にあっていたようだ。

朝日新聞11/6に載った、早稲田大の松岡亮二氏の意見が参考になった。「教育格差」のデータ無視する自民党官邸-経産省に対する根本的批判だ。・・・ 

自分の可能性を諦めた子どもがどのくらい居るかを想像せず、格差があっても自分の努力で乗り越えたら良いと思っているトンチンカン。自分から身の丈で行きていこうと遠慮する子。理念先行で改革・・小泉、橋下徹維新、安倍の路線、やめませんか!

酷い、民営化という利権探しの実態がバラされた。この機会に、子どもたちの教育の狙い「しゃべれるようになる」→ 点検しよう。日本記者クラブが連続記者会見する。下記は、その第1回は上智の吉田研作氏だ。官邸サイドの意図が知れる。

自民党が企画した”しゃべる改善”政策(大学英語テスト民営化)の失敗

引用:荻上チキセッション22 19/11/4
英語教育の阿部さん、高橋哲さんと討論。
自民党・荻生の大学英語テストの民営化計画が破綻。民営化の利権を明け渡す自民党政治の1つ。
英語をしゃべれるようになるために、大学入試を”しゃべり志向”に変えて、その評価までを民営化する。

植民地主義の捉え方 労働総動員とは?

植民地主義のエッセンス=あなたは無能。だから権利はなく、日本人に従いなさい
やばい労働総動員に朝鮮人というが、日本人もタコ部屋に居た。これは何なのか?
”植民地主義の克服”とはどうするの? 西欧の植民地は独立闘争で結果?
労務動員被害に対する補償をどう考えるか?

朝鮮人の強制連行の実態は? 労働総動員とは? 植民地主義とは? 核心に迫る

NEW!2019-10-30 15:51:02テーマ:ブログ

とても良い講演会だった。東大の外村大教授。労働動員の歴史が少し分かってきた。

「朝鮮半島の今を知る」(35) 朝鮮人強制連行の実態 外村大・東京大学大学院教授 2019.10.25

現在の日韓対立は韓国大法院の徴用工への賠償判決がきっかけだった。『朝鮮人強制連行』(岩波新書2012年)などの著書がある外村大教授が登壇し、そもそも朝鮮人の強制連行の実態はどのようなものだったのか、どのような事実が確認されているのかについて語った。

司会 五味洋治 日本記者クラブ企画委員(東京新聞)

「一族郎党を追い込む日本社会」

引用:デモクラシー・タイムス「真実はいつも少数派」 第2回 カミングアウトの苦闘 作家・伊波敏男 ハンセン病を生きる② 19/10/22

山岡淳一郎のインタビュールポ「真実はいつも少数派」」第2回 ハンセン病回復者であることを公表し、差別と偏見、排除の思考と闘いながら自伝『花に逢はん』(沖縄タイムス出版文化賞受賞)はじめ珠玉の作品を著してきた伊波敏男の半生後半。 沖縄脱出後、12回に及ぶ手術を経て手が動くようになった伊波青年。ハンセン病回復者であることを隠さず、堂々と生きようと決心する。だが、カミングアウトの試練は厳しい。結婚生活を撮ったNHKのドキュメンタリー番組は放送中止、家族とも離れ離れに。人間とは何か、尊厳とは何か、生きる本質が語られる。そして次回は、松本大本営地下壕から再び話は沖縄に。

原因にあたり対策してこなかった日本

引用:アトキンソン

この法律が日本を「生産性が低すぎる国」にした

10/3(木) 5:30配信  

東洋経済オンライン

「要因分析」というものを、日本経済を低迷させている諸問題に対して行っていくと、驚くべきことがわかります。

 実は日本経済の低迷も、女性活躍や有給取得率でもそうだったように、最後は必ず「小さな企業が多すぎる」という問題に突き当たるのです。低賃金、少子化、財政破綻、年金不足、最先端技術の普及の低さ、輸出小国、格差問題、貧困問題……さまざまな問題の諸悪の根源を容赦なくたどっていくと、「非効率な産業構造」という結論にいたるのです。

 それはつまり、日本が他の先進国と比べて、経済効率の低い小さな企業で働く人の比率が圧倒的に多く、そのような小さな企業が国からも優遇されるということです。実は日本は、生産性の低い「中小企業天国」と呼べるような産業構造になっているのです。

 このような話をすると、「小さな企業が多いのは日本の伝統で、普遍的な文化だ」とこれまた漠然とした主張をする人たちが多くいらっしゃいますが、実はこれも表面的な分析に基づく”残念な勘違い”なのです。

 歴史を振り返れば、小さい企業が多いのは日本の普遍的な文化だと言えるような客観的事実はどこにも見当たりません。むしろ、ある時期を境にして、現在のような「他の先進国と比べて小さな企業で働く人の割合が多すぎる」という産業構造が出来上がっていったことがよくわかります。

 では、その時期はいつかというと、「1964年」です。

 この年、日本はOECD(経済協力開発機構)に加入しましたが、その条件として突きつけられたのが、かねてより要求されていた「資本の自由化」でした。当時の日本では、資本が自由化されれば外資に乗っ取られるかもしれないという脅威論が唱えられ、護送船団方式など「小さな企業」を守るシステムが続々と整備されました。つまり、1964年というのは、日本を「低生産性・低所得の国」にした「非効率な産業構造」が産声を上げたタイミングなのです。

これ(中小企業基本法)が逆効果となってしまいます。優遇措置を目当てに、50人未満の企業が爆発的に増えてしまったのです。

 中小企業を応援して日本経済を元気にしようという精神からつくられた法律が、優遇に甘えられる「中小企業の壁」を築き、「他の先進国と比べて小さな企業で働く労働者の比率が多い」という非効率な産業構造を生み出してしまったという、なんとも皮肉な話なのです。

 それでも1980年代までは人口が増加し続けたため、経済も成長を続けました。しかし1990年代に入り、人口増加が止まると、この生産性の低い非効率な産業構造の問題が一気に表面化してきました。

 ちなみに、日本の生産性を議論する際に必ず出てくるのが、日本では製造業の生産性が高く、サービス業の生産性が低いという事実です。この現状を説明するためによく言われるのが「日本人はものづくりに向いている」「サービス産業の生産性が低いのは『おもてなし』の精神があるからだ」という”神話”のような話ですが、実はこれも非効率な産業構造ですべて説明ができます。これもまた、単に中小企業基本法の影響なのです。

 

製造業はどうしても他の業種よりも規模が大きくなりました。

 規模が大きければ生産性が高くなるというのは、先ほども申し上げた経済学の鉄則のとおりです。一方、日本のサービス業は圧倒的に規模の小さな事業者が多く乱立しているという事実があるので、当然、生産性は顕著に低くなるというわけです。

 このように日本経済の衰退を要因分析していくと、「1964年体制」に原因があることは明白です。つまり、「1964年は東京オリンピックで日本の飛躍が始まった年」というのは残念ながら間違いで、実は経済の衰退をスタートさせてしまった「国運の分岐点」なのです。

 「1964年体制」がつくった産業構造を元に戻すことは容易なことではありません。その動かぬ証が、1990年代から実行されたさまざまな日本の改革がことごとく失敗してきたという事実です。その結果、国の借金は1200兆円にまで膨らみました。

「仏教はカーストなんてない。人間らしく生きる権利がある。大事なのは教育。自分で考える力だ。お金がないなら、1食、抜いてでも子どもを学校にやりなさい」

「仏教はカーストなんてない。人間らしく生きる権利がある。大事なのは教育。自分で考える力だ。お金がないなら、1食、抜いてでも子どもを学校にやりなさい」

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「仏教はカーストなんてない。人間らしく生きる権利がある。大事なのは教育。自分で考える力だ。お金がないなら、1食、抜いてでも子どもを学校にやりなさい」「昔は“駆け込み寺”という言葉どおり、お寺は悩める人の相談所であった。・・どこかに今も親身になって世話をしてくれる寺もあるだろう。アンベードカル博士のような偉人の伝記をたくさん読んでほしい。何が正しいか、自分の使命とは何か。苦しい時、本は人生の助けになるだろう」

日本でも、「佐々井のやっていることは仏教ではない。ただの社会運動だ」と批判されたことがあった。
「ただ静かにお経を上げ、お布施をもらうだけが僧侶ではない。何もせんやつに何を言われようとかまわん」

久しぶりに祖国の地を踏んだ佐々井を待っていたのは、「人の匂いがしない」現代日本の空虚感であった。
「インドの子と比べ、日本の子は覇気がない。大人も顔が沈んでいる。自殺が年間3万人と聞いて驚いたが、いったい祖国はどうなってしまったのか?」
仏教徒・佐々井秀嶺の言葉引用:インドで1億5千万人の仏教徒を導く、81歳の日本人僧「私には黒い血が流れている」週刊女性17年9月12日http://www.jprime.jp/articles/-/10511?page=2

『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』の凄腕の編集者=鳥嶋和彦氏の転機

『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』の凄腕の編集者=鳥嶋和彦氏の転機

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引用:Keio Times

漫画嫌いを改めさせたのは少女漫画
『風と木の詩』『ポーの一族』

– 鳥嶋和彦さんは集英社の『週刊少年ジャンプ』ファンから“伝説の編集者”とたたえられています。鳥山明氏を発掘して、『Dr.スランプ』を共につくりあげ、さらに世界中に大勢のファンを持つ『ドラゴンボール』で大ヒットを飛ばしました。しかし意外にも、集英社に入る前はほとんど漫画を読まなかったそうです。

鳥嶋:大の読書好きでしたが、漫画には全く興味がなく、就職先の第一希望は文藝春秋社でした。就職を前にして、自分はいったい何ができるのかと自問し、人より優れている点を自己採点していくと、唯一残ったのが、人よりたくさん本を読んでいるということ。となると作家か編集者しかないと思ったものの、作家になるには致命的な欠点がありました。例えば今日嫌なことがあっても明日にはすっかり忘れてしまう性格。物事を頭で反芻しながら、じっくりと作品をつくる作家は無理とあきらめ、編集者になろうと決めたのです。ところが、義塾を卒業した1976年は、オイルショックによる不況のせいで、なんと文藝春秋社の新卒採用は中止。ショックでした。さらにその他のマスコミ、出版社も採用中止が相次ぎ、就職難の年でした。就職浪人できない事情もあり、業界かまわず48社を受けて、合格したのは集英社と、中堅の生命保険会社だけでした。

そして集英社に入社。配属されたのは予期していなかった『週刊少年ジャンプ』編集部だったので、1週間もたたずに辞めることを考えて、新聞の求人欄を真剣にチェックしていました(笑)。というのもそれまで漫画にはほとんど触れたことがなく、配属後に読んでみても全く面白く感じなかったのです。業務日誌に最新号で面白いと思った作品を順番に書けと言われて並べてみたものの、読者アンケートで集計された順位とは見事に正反対。自分には漫画はわからないと、強く思ったものです。

– 読書好きとのことですが、それまでどのような本を読んでいたのですか。

鳥嶋:本好きは筋金入りです。小学4年のある日のこと、深夜に目が覚めて、窓から月を見上げたときに、僕とは何なのだろう、月の視点で僕を見たらどう見えるのだろうと考えました。そして子どもながらに哲学書を読み始めました。パスカル、ニーチェ、論語など。その後は、翻訳物の小説を読みふけり、高校の頃にはバタイユ『眼球譚』や澁澤龍彦訳『O嬢の物語』など神秘的な作品を、大学入学後には約3カ月かけてプルーストの長大な『失われた時を求めて』を読破しました。あの複雑極まりないところがとても面白かった。

– そんな本好きの漫画嫌いが、凄腕の漫画編集者になるきっかけは何だったのですか。

鳥嶋:集英社の近くにあった別の出版社の資料室に入り浸っていろいろなものを読んでいるうちに、ふと少女漫画をめくってみました。そして竹宮惠子『風と木の詩』、萩尾望都『ポーの一族』などに、ジャンプの漫画にはない面白さを感じました。また当時の『週刊少女コミック』に連載されていた、『タッチ』を描く前のあだち充の『泣き虫甲子園』もなかなかいい。つまり、漫画という表現には多様性があり、僕にも面白いと思うものがあるとわかったのです。

とはいえ、自分の仕事はジャンプの漫画です。担当者として、読者アンケートで上位に来る作品を若い作家さんと一緒につくるのが役目です。最初に任されたのが、先輩から引き継いだ『ドーベルマン刑事(デカ)』でした。バックナンバーを読んだけれど、つまらない。いちばん気になったのは、作家さんがアクションシーンはうまいけれど、女の子の描き方がいまひとつで、みんな同じ顔になっていること。それをなかなか言い出せなかったのですが、じっくり時間をかけて関係を親密にしたのち、一対一で「新登場の女性警官の顔を変えてくれ」と切り出しました。彼は納得してくれて、一晩で描き直してくれました。その女性警官が登場した号はアンケートで一気に人気が出て、10位以下から4位になりました。原作者ものってくれて、次の回の話をそのキャラクターが活躍するストーリーに変えてくれ、なんと読者アンケート1位を獲得。

このことで、作家さんに的確なアドバイスが出せれば結果が出ることがわかり、初めて漫画を編集することの喜び、楽しみを知りました。それからは、自分が面白いと思うことを若い作家さんとやり始めました。大切なのは、さまざまな話をして、作家さんの潜在的な興味を掘り起こすこと。一緒に映画を観に行ったり、他の人の漫画やアニメの感想を聞いたりもしました。自分の作品でないと、作家さんは意外といろいろと語ってくれるものです。作家さんが他の人の作品に何を感じるのか、どういう価値観を持っているのかをストックしておくと、いつか役に立ちます。
以下省略  引用したサイトでご覧ください

【泉房穂市長の子育てユニーク都市づくり】原点は、子どもの時の経験だった。 民主党代議士から明石市長へ

【泉房穂市長の子育てユニーク都市づくり】原点は、子どもの時の経験だった。 民主党代議士から明石市長へ
引用:朝日新聞
――やさしい社会や子どもへの強い思いは何が原点なのですか。
 「原点は弟と過ごした子ども時代です。4歳下の弟は生まれつきの障害で歩けませんでした。5歳でやっと歩けるようになりましたが、自治体からは遠くの養護学校に行くように言われました。両親の懸命の交渉で私と同じ地元の小学校への通学が認められました。でも、条件がついた。何があっても学校を訴えないことと、兄である私が登下校に責任をもつこと。2人分の教科書をランドセルに詰め、冷たい視線の中を弟と一緒に毎日通学しました。なんて冷たい社会なんだと、世の中の理不尽さを子ども心に憎みました」
 「運動会でのことです。小学2年の弟が『50メートル走に出たい』と言い出しました。『迷惑をかける』と両親も私も止めましたが、弟は聞きません。当日、同級生からずいぶん遅れて、でも、うれしそうにゴールする姿を見て、涙が止まりませんでした。弟が笑われたらかわいそうと言いながら、本当は自分が笑われたくなかったのだと気づきました。
幸せを決めるのは本人であり、それを支えるのが周りの役割なのだとも。その思いは、いまも変わっていません」

【美術大出身・新里カオリ社長】「美大の卒業生の就職先、きびしいです」 尾道市向島で見つけた一生の仕事

【美術大出身・新里カオリ社長】「美大の卒業生の就職先、きびしいです」 尾道市向島で見つけた一生の仕事
尾道向島の帆布と藍のにおいが指し示す大切なこと
パーソナリティ : アーサー・ビナードゲスト : 新里カオリさん(立花テキスタイル研究所・代表)


【仕事の失敗の事例】JR西 危険事例 車掌、保守と指令にホワイトスペース

【仕事の失敗の事例】JR西 危険事例 車掌、保守と指令にホワイトスペース
引用:朝日新聞
関係者全員、異常感じたまま運行 台車亀裂、JR西会見波多野大介2017年12月27日20時15分
  博多発東京行きの新幹線「のぞみ34号」(N700系、16両編成)の台車に亀裂が見つかった問題で、JR西日本は27日、来島(きじま)達夫社長らが会見を開き、車内に11人いた乗務員や保守担当ら関係者全員が音やにおいなどの異常を認識していたことを明らかにした。運行停止を決めることができる東京の指令員との間で認識のずれが生じ、電話での報告の聞き漏らしもあり、運行を停止させる判断ができなかったという。
 JR西はこの日、多くの異常を感じながら運行したことについて、関係者への聞き取り調査の結果や電話の録音をもとに経緯を説明。運行時に気づいたトラブルは計30件に上ったが、これまでJR西では音やにおいなど複合的なトラブルに対処するルールはなく、点検実施や運行停止に関し、指令員と保守担当が互いに判断を譲り合い、運行を継続していた。
 最初に異常が分かったのは、11日午後1時33分に博多駅を出発した直後。亀裂が見つかった13号車付近で車掌が感じた甲高い異音だった。その後も異音や異臭は断続的に続き、岡山駅で乗り込んだ保守担当が13号車の洗面所付近で床下から伝わる振動を確認。車内販売員も天井と床下から「うるさく感じるくらい大きな音」を聞いた。  
 しかし、運行に携わった関係者は自ら運行停止の判断をせず、指令員は「点検の必要があるなら保守担当が明確に伝えてくると認識していた」、保守担当は「指令員がどこで点検するか、調整してくれる」と受け止めていた。 保守担当が指令員に電話で新大阪駅で床下の点検をするよう提案した際、指令員は別の指令員から状況報告を求められ、その間に受話器を耳から外していたため、内容を聞いていなかったという一幕も明らかになった。